再びblogを書こうと思って、だいたい1ヶ月位経ちました。
で、そのくらい経って、なにか変わったかなーと思ったので、考えてみがてら、記事にしてみようかと。
僕がblog書き始めて、1ヶ月書き続けて思うことは、
情報(経験することも含む)のインプットとアウトプットを意識するようになった
ことですね。
では、この結論に至った要素を、一つ一つ見て行きましょう。
今のところ、このブログは、ドリフターズのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするブログになってます。
要は軸が定まってないってことなんですが、その分、普段の生活の中から、ネタを探そうとする意識が働いて、今まで意識できていなかったことに対して、何かネタにならないかな?っていう「引っ掛かり」を意識するようになりました。
当たり前の話なんですけど、日々生活をしているんで、なんかしらの経験を日々蓄積していってます。
もうちょっと言うと、いろんな体験をすでに経験してきている。
それが、blogを書く前は、ムーディー勝山ばりに、右から左へ受け流す感じだったのですね。
何も感じないというか。
昔の体験の記憶も、ただ段ボール箱に入った本のごとく、取り出されないまま。
それが、こんな些細な事でも、blog記事にできるんじゃない?といったふうに、日常の小さなことに着目するようになりました。
僕は雪が降る地方で育った人間なので、
雪が降る前夜に屋根のないところに駐車する際、ワイパーを上げておく
(雪の重みで、ワイパーが壊れることがあるから)というのは、常識なんですよ。
1.日常に対して、興味を持つようになった、生きているだけでたくさんのインプットがあり、今までもたくさんのインプットにより様々なストックがある
今のところ、このブログは、ドリフターズのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするブログになってます。
要は軸が定まってないってことなんですが、その分、普段の生活の中から、ネタを探そうとする意識が働いて、今まで意識できていなかったことに対して、何かネタにならないかな?っていう「引っ掛かり」を意識するようになりました。
当たり前の話なんですけど、日々生活をしているんで、なんかしらの経験を日々蓄積していってます。
もうちょっと言うと、いろんな体験をすでに経験してきている。
それが、blogを書く前は、ムーディー勝山ばりに、右から左へ受け流す感じだったのですね。
何も感じないというか。
昔の体験の記憶も、ただ段ボール箱に入った本のごとく、取り出されないまま。
それが、こんな些細な事でも、blog記事にできるんじゃない?といったふうに、日常の小さなことに着目するようになりました。
僕は雪が降る地方で育った人間なので、
雪が降る前夜に屋根のないところに駐車する際、ワイパーを上げておく
(雪の重みで、ワイパーが壊れることがあるから)というのは、常識なんですよ。
ですけど、雪が降らないところにお住まいの方は、そういう情報をご存じない。
地元では、そんな情報、だれでも知っとるわ!って言われるようなことでも、その情報をありがたがってもらえる方も居てはって、blogには、そんな方にもネットからアクセスできるし、リーチできる。
なんで、今まで生きてきている経験の中で、全世界的に見てマニアックな知識って、だれでも持っていると思うんですよ。
雪が降る日は、ワイパー上げとかないといけないとか、近所の学食がおしゃれで安いとか。雪が振る季節になったら、捨ててもいいような布と、スコップと、できれば牽引ロープと、バッテリーをチャージするケーブルなんかをクルマに積み込んでおくとか。
そんな「自分にとっての当たり前」のことでも、知識をアウトプットすることで、役に立つ人がきっといるんじゃないかなーと思ってます。
ブログを書くにあたって、僕が意識しているのは、読んでもらった人に、満足感があるようにってことです。
なんで、今まで生きてきている経験の中で、全世界的に見てマニアックな知識って、だれでも持っていると思うんですよ。
雪が降る日は、ワイパー上げとかないといけないとか、近所の学食がおしゃれで安いとか。雪が振る季節になったら、捨ててもいいような布と、スコップと、できれば牽引ロープと、バッテリーをチャージするケーブルなんかをクルマに積み込んでおくとか。
そんな「自分にとっての当たり前」のことでも、知識をアウトプットすることで、役に立つ人がきっといるんじゃないかなーと思ってます。
2.物事に対して、洞察を進めるようになった
せっかく星の数ほどあるブログから僕のブログを読んでくださっているわけで。
なら書き手は、読み手を満足させる努力をすることは、ブログ書きの最低限のマナーかな?と、僕は勝手に思ってます。
そんなわけで、記事を書いてるときや、ネタを拾っているときは、
「読んでもらっている人は、どんな情報を欲しているんだろう?」
「どういう展開で論を展開すれば分かりやすいだろう?」
「どんな内容が面白いと思えるんだろう?」
っていうことを色々想像しながら書いているように思います。
なんで、ネタの種を見つけた時に、
・どういうふうに論を広げていくか?
・客観的に、この情報は信じてもらえるようにするには、何と対比するか?
・論拠はなにか?
・次に欲する情報は何か?
ということを、日常生活の中で自然に考えるんですよね。記事を書こうと思ってると。
なら書き手は、読み手を満足させる努力をすることは、ブログ書きの最低限のマナーかな?と、僕は勝手に思ってます。
そんなわけで、記事を書いてるときや、ネタを拾っているときは、
「読んでもらっている人は、どんな情報を欲しているんだろう?」
「どういう展開で論を展開すれば分かりやすいだろう?」
「どんな内容が面白いと思えるんだろう?」
っていうことを色々想像しながら書いているように思います。
なんで、ネタの種を見つけた時に、
・どういうふうに論を広げていくか?
・客観的に、この情報は信じてもらえるようにするには、何と対比するか?
・論拠はなにか?
・次に欲する情報は何か?
ということを、日常生活の中で自然に考えるんですよね。記事を書こうと思ってると。
考えるっていうのは、とても楽しいです。
どーやって人を満足させるか?驚かせるか?っていうのを考えることが楽しいのは、人の本能的な欲求なんじゃないかな?と思ってみたり。
どーやって人を満足させるか?驚かせるか?っていうのを考えることが楽しいのは、人の本能的な欲求なんじゃないかな?と思ってみたり。
と言った感じで、ブログを書いているときはもちろん、普段の生活から、いろんなことに対して、洞察を進めるクセがついたかなーと思います。
記事にするというのは、情報を集めて、構成を考えて、まとめる。
ってことだと思ってます。
3.分かりやすい文章を意識する
ってことだと思ってます。
が、分かりやすく書く、というか言葉を綴るというのは、とても難しいです。
- 自分の主観を排して、客観的に見て分かりやすいか?
- 論理に破綻はないか?
- ネットに公開する文章なので、他者を貶めていないか(いや、公開しない文書も、人を貶める文章はご法度ですね、ですけど普段よりも特に気をつけないと)
などなどいろいろ考えます。
一つの助詞に対しても、分かりやすいか?必要か?と考えて文章を考えるようになりました。
いろいろ上げてきましたが、情報のインプット、アウトプットを意識するというのは、とても知的な作業だと思います。しかも他者の評価まで受けることができる。
こんな面白い「遊び」がブログにはあるんだなーと最近思ってきた次第っす。
ではでは、今日はこれくらいで。
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